The Usual Disclaimers Apply

CGEモデル分析、ときどきDIY&フライトログ(しばしば比率逆転)

的外れな研究不正の指摘: まあ、何というか、ご時世ですから





Internet Archive(2016/5/28のスナップショット)より

の最後にネット上のwhistle-blowerについて上がっていたので見てみたら、「白楽ロックビル」はDBだよねという感じでまだ冷静だとしても(「1度でも研究不正をしたら業界追放!」という意見は、極端すぎて、私は賛成しかねるが)、「世界変動展望」はちょっとどうかと。



 サイトの冒頭、色ゴチで「未解決事件」とか。ふつうなら気味が悪いのでそっとPC閉じて終わりなのだが、知っている人(横綱のほうじゃない、念のため)が出てきたのでそのままというのも。




COI


最初にCOIっぽい話をしておくと、どちらも知っている人で、とくに、1人は私のM/D論の副査で大変お世話になった先生。だから、なるべく中立になるように心がけたとしてもサポーティブになる可能性は十分にあり、いやむしろ、そのために書いていることは全くその通り。




長くなったので結論のまとめ



  • 指摘事項のほとんど(業績の水増し、結果の使い回し等)は、失当

  • 研究プロセス(DP/WPや学会の意味)や要求される事務処理(科研費報告書)を知らないことから来る思い込み

  • せいぜい、論文中のタイポ、事務的な報告書の誤記、Webページへのアップロードし忘れ程度の問題







Retraction Watch上の時系列


なにやら、「Retraction Watchにまで出た」なんて堂々と書いて有るので、それは一大事と思って見てみるが見つからない。RW上のSearch機能で探してみるもヒットせず。



 それではと、googleでsite:retractionwatch.comを付けて探したら、やっと出てきた。ただ、どれもRWの記事ではなく、それとは違う件につけられたコメント。しかも、ごく短期間(2014/5/24, 3:46-3:51の5分間; 2014/7/10)にほぼ同じコメント。それって、「コメント・スパム」そのもの。もちろん内容に実があればまだいいのだが...。



 いろいろ、推理、想像、妄想(?)を重ねて、コメント主の「A」がブログ主のことだと想定して、以下つづく。













 何件かつけたコメントに食いついてくれた人(JATdS)がいて、"heat is on"と盛り上がってくれたのだが、リンク先すべて日本語。日本在住のようなのでひょっとしたら読めるかもしれないが、どうかな。彼は「日本語の文章は無視して、図表に集中」なんて書いているのだから。(2014/5/28)。



 JATdS=Dr. Jaime A. Teixeira da Silvaという理解でいいよね。この辺(のコメント欄...長い、「3行でまとめて」と言いたい)を見ると。途中でHNを変えるのはやめて欲しい、トラックするのがメンドクサイから。



 もう1回だめを押して、リマインド(というかやっぱりコメント・スパム)したのが2014/7/10。これにJATdSが反応して、「著者に2014/7/1付でメール打ったけど、彼らからは返事はなかったよ」、と(2014/7/10)。



 まあしかし、私でも、正直、こんな気色悪いメールが来たら、返事はしたくないかな。(資料中の日本語が読めるかどうかわからない感じの人が)英語で、日本語のPDFファイルのメモをリンクして、ざっくり「これどういうこと?」って訊いてきたら。



 だって、まともに返事しようとすると、


  • 日本語のPDFファイルの中身を理解できていなさそうな人に、

  • (糾弾者が用意した)PDFファイルの日本語を(糾弾される側が手間を掛けて)英訳して、

  • そうしてあらためて、それに対する反論を書く


なんてあまりに非生産的。そもそも、以下に書くように、指摘事項は、ほとんどすべてが失当か言いがかりなわけで。(こう書くと、「ほとんど」ということは、1つか2つは的を射ているんだろう、と言ってくる人がいそう。)





何が問題視されているか-実は何ら問題ないこと



「1つの研究を複数箇所で発表している」こと?



 批判者自身のいくつかの誤解・無理解が原因。とくに、「1つの論文」を複数の場所で報告すること、を問題視している様子。ただし、これは明らかに失当。一連の「複数の発表・刊行」は、セミナーや学会報告、DP/WPで、最終的な出版物としては『計画行政』のそれ1つ。逆に言えば、最終的な刊行物以外は、要は、仕掛品なので、内容はまあその時点では間違いや不十分な点はあっても仕方ない。





 こうした「1つの研究をいろいろなところで公表する」ことが研究活動であると言うことを理解していないために、新旧の異なるバージョンの原稿・スライドを比べて「コピペ」指摘してしまっている。あるいは、「重複発表がばれないようにするための所業」と勝手な解釈をしてしまっている。誤解と言うより、糾弾者の色眼鏡。





 だから画像や図表が似ているのは当たり前。少しずつ修正を加えながら完成度を高めるプロセスなのだから。もちろん、その中に誤記(古いバージョンの表が生き残っているとか)があるかもしれないが、旧版を改訂しているのだから、それが使い回しではない





 批判の対象のなかには、セミナー報告のPPTまで取り上げている始末。確かに間違いはあるのかもしれないが、(善意に解釈する可能性として...favorableにとりすぎ?)ひょっとして、セミナーや学会の報告中で、報告者自ら口頭で訂正することだってあり得る。





 学会報告でも「それは『査読付き』だから最終刊行物でしょ!」、というのも違う。「査読」にもバリエーションがある。学術雑誌ならちゃんとしての査読があるだろうから、それについてはここで改めて論じる必要はあるまい。





 学会だと、査読、といっても厳格なreviewからscreeningに近いものがある。JEAもそうだし、GTAPもそう。JEAは、「さすがにこれはNGでしょ」、というものを落とす。GTAPもそうだが、レビューワーから結構しっかりしたコメント(要望)が返ってくる(が、それに対応する必要まではない)。





 また、同じく私の経験に限られるが、土木計画学会では、2回ほど査読をして、それなりのコメントをしたことがある。コメントの後は、とくに著者との間でやりとりは無し。この分野では、しかし、おそらくこのproceedingsに当たるものが最終的な成果物になるのだろう。その場合は、それをどこかに(同じ言語で)出すというのは問題になるかもしれない。



 しかし、指摘のEcoModは、少なくとも問題にはならないケース。(最近の)EcoMod2016なら、


Publication

All the papers presented at the conference will be published on a CD-ROM by the EcoMod Press in the conference proceedings. The papers will also be posted in PDF format on the conference web site. The copyright stays with authors so that they can publish the paper in any other formats.

と書いてある(昔のものにはないけどね、まあ、同じポリシーだと考えるのが普通。)学会の中身も知らずに、よくもここまであげつらえるものだと思う。





DPの「投稿規定違反」って?


国環研DPの投稿規定に関する指摘も無意味。「学会に先立ってDPにするはずなのに、ほかの学会で発表しているから意味がない」、なんてどこの研究者が考えるだろうか。DP/WPは、あくまでも自分のアイデアについてその時点のスナップショットを出すこと(先取権を確定)、そして、論文を便利に配布するもの。





 ぎちぎち言えば、投稿規定の言う「学会で発表」の「等」には(すでに報告したことがあるものとは別の)学会・セミナーや、学術雑誌を指すでしょう。「未発表」の意味も、学会発表とかセミナー報告ではなく、(原著論文等として)「未公刊」の意味。すでに述べたように、学会は意見を聞く場所なので、べつに何回発表しても構わない。発表するつもりが予定が変わったり、報告申し込みしたけどリジェクトされたりとかは十分にあり得る。学会に出さずに、そのまま査読誌に投稿したとして、いったい何の問題があるのか。「出版目的は完全に失われる」って?



(もうこれ以上はあまりに馬鹿らしくて書く気もしない。)





(科研)報告書の「虚偽記載」って?



 同じ論文が複数の年度の科研報告書に出ている件は、おそらく問題ない。典型的には、ある年にアクセプトされて次の年に出版されそうな場合。刊行予定年をspeculateして初年度に記載し、次年度に確定情報を掲載する。(今は「掲載確定」というチェックボックスがあるが、その当時はなかったと思う。)その場合に、forthcomingと書くか刊行予定年を(まあ2年後ということはあるまいし)翌年(度)にして出すことはあり得る。科研報告書を書いたこともないのだろうか。



 なお、科研報告書は「実績報告書」なので、要は仕事のログ。1つの論文を複数の場所で発表することが、「業績の水増し」にはならない。むしろ、研究成果の社会への積極的な還元・普及活動として奨励されていること。




 やはり、こういう研究活動を一通り経験したことがない人が、研究不正の指摘に手を出すのは無理がある。あるいは、指導教官や先輩にちゃんと教えてもらわなかったのだろうか。(だからといって、社会学の指導教官がtwitterで謝るのも筋が違うが。)




生データが必要?-自分でDLするなり直接貰えばいいじゃん




 指摘の中の、「データ」というのも混乱の元。たぶん糾弾する側は、実験室の電気泳動の実験結果データみたいなもののつもりで指摘しているのかもしれないが、指摘事項の背景自体がよくわからない。実際、ここでは、産業連関表のような公開経済データ、シミュレーションにおける各種弾力性の仮定、最終的に得られたシミュレーション結果、どれが「(ほとんど)一致」しているのかによって、全く指摘事項の性質が異なる(そして、おそらく、問題にならない)。





 弾力性の推定論文にしても同じ。EUKLEMというデータベースのデータ、推定における仮定・推定手法の選択、最終的に得られた弾力性の推定値、いろいろあってどのことを問題視しているのか。



 生物の実験じゃなくて、既存の(経済)データをもとにした推定・シミュレーションなんだから、「生データ」が必要なら、メールして見せてくれと頼めば、(失礼さえなければ)産業連関表か社会会計表を送ってくれるでしょう。コードも一緒に



 自分からは何もせずに、Retraction Watch上で日本語資料(!)へ誘導するコメント・スパムのあげくに他人(JATdS)に英語で照会させるとか...、あくまでも自分は藪の中から鉄砲を撃ち続けるという...なんともはや。彼(JATdS)は植物学の人のようだけれども、EcoModってわかるのか? 事情をよく知らない人を鉄砲玉に使うとは。





結局、何が問題として残りそうか



 あえて指摘するなら、役所の報告書所収の論文タイトルの誤記研究所DPがPDFでアップされていなかったという程度のもの。どちらも、どうということはない。前者は、基本的に内部資料(の類い)で、基本的に、学術研究として数に入れない。後者は、本当に必要な人がいれば組織にでも本人にでもメールが行くでしょう。(そこで、「非開示」にしたら問題だろうが、実際コンタクトをとってそうだった?)せいぜい事務手続きのミスといったところ。



  「13%の根拠」にしても同じで、「286/318t-C」とすべきところを「3846/6131t-C」と誤記していると解釈するのが自然...もちろん、私のguessだが。抜粋して下に示すように、このt-Cの値は続くシミュレーションでは使っていない(むしろ「16(=13+3)%削減」を使っている)から、結果に影響を与えない(=分析者に都合のよい結果をもたらさない)。





















 そもそも、ここで「分析者に都合のよい結果」って何? べつに、特別な細胞が出来たか出来なかったか、とか言うことでもあるまいに。シミュレーション結果が10と出たら「10だった」と書き、15だったら「15」と書くだけのこと。



 研究の中身も過程も理解しないで、ただ、似た図表を見つけて研究不正一丁上がり!」とは、エンブレム問題と大して違わない。人類の科学的英知の蓄積に何も貢献するまい。



 もちろん、「誤記や事務手続きミスはいいこと」などと、私は言わない(アタリマエ)。しかし、誤記の類いを一々「ねつ造」、「改ざん」と呼ぶ理由は、なにか?



 実績報告書上の論文タイトルが違うことも、せいぜいが誤記であって、上で述べたように「重複発表を隠す」という効果を持たない。オーディエンスに合わせて学会・研究会の報告タイトルを変えたとしても、なんら問題ないし、実際、私もそうしている。(オット、ワタシモツルサレル?)





 学会報告やDPではなく、最終成果物なら誤記があれば訂正した方がいいが、上の誤記ならまずず無害。ただ、DP/WPや学会報告のPPT、proceedingsまで修正する人は...居るか、そんな人?





 何でもかんでも、「不適切」、直ちに、「虚偽(記載)」、「ねつ造」、「改ざん」とは。赤ゴチのテンプレ&オンパレード。


たとえ、「故意なら」とか条件づけると断り書きがあっても、あれだけ繰り返し赤ゴチで書いてある以上、少なくとも印象操作を意図した不適切で過剰な批判であると、私は判断せざるを得ない...

なんて書かれたら嫌でしょ。(あ、赤ゴチ使っちゃった!)






最後に





黒木(2015)報告スライドp. 33

黒木(2016), 表6-1(p.225)と基本的に同じ

件のblog主は、例の細胞事件の一番槍を誇っていらっしゃるけれども、


  • 1つの不正がすべての研究成果を汚染する


ことは理解していても、


  • 1つの研究に対する不適切な不正の指摘が、すべての研究不正をただす活動を汚染する


ことは理解されていない様子。



 黒木(2016)で指摘(p. 225)しているように、「ネット上の抑止力」には問題があり得るのだから、歴とした書籍中でその活動を裏書きするように言及(p. 226)して、コンタミを促進するようなことをしなければと、ちょっと残念。



 とまあ、いろいろ書いたけれども、あげつらわれたお二方の先生には、「別に、捨て置けばいいものを」と笑われてしまいそうではある...。:-)





参考文献