The Usual Disclaimers Apply

CGEモデル分析、ときどきDIY&フライトログ(しばしば比率逆転)

なぜ経済学に対する理解は間違えるのか?: Economi...sunderstanding


なぜCGEモデルがDSGEモデルと間違われるのか」のつづき。





予測と法則




 第1章から第3章ぐらいまで読んでみたところで、だめだこりゃ、挫折。総体として、



  • 「(新古典派)経済学全般」を批判するのはさすがに範囲が広すぎて無理筋

  • 筆者が「これが経済学ではできていない」と指摘しているもののうち、少なくないものが、これまでの研究によってでカバーされてきた、あるいは、できつつある(できてないところも、もちろんあるだろうが)

  • 「経済学的手法では予測ができていない」と批判するが、予測の失敗(=現実と予測値の乖離)をどのように判定・計測する方法が示されていないので、果てしない空中戦

  • 代替案としてエージェントベース・モデル等が提示されているが、ではどの程度、適合度が良いのか、説明力が高いのかが示されていない

  • 経済学における「法則」に、「物理法則」と同じ程度の法則性(あるいは予測力)を期待している(期待しすぎ)

  • 予測精度が悪い「経済法則」を使い続けている(ということは、見直しや手直し(自己修正)という科学的な手続きを踏んでいないことを意味しており)、したがって「経済学は科学ではない」と言明しているが、それは上で指摘したように、これまでの研究成果をあまりに無視している




 経済学で「法則」といったら、



  • セイ、一物一価、限界効用逓減、需要、オークン、ペティ=クラーク、パレート(冪乗)




といったところだが、法則というより定理だったり、あるいは、経験則だったりする。「万有引力の法則」的なものを期待されてもなぁ。


ニュートン万有引力の法則に相当するものが経済学にあるとすれば、それは需要と供給の法則だ。(p. 22)


というのはあまりに「法則」という言葉にとらわれすぎている。需要法則(需要関数)を取り上げるぐらいなら、「選好」(に関する種々の仮定、あるいは、公理)から始めるべきで、あるいは、より一般的に「トレードオフ」を挙げるべきだと思う。





 ミクロとマクロ、部分均衡と一般均衡決定論的deterministicなものと確率論的stochasticなもの、いろいろなものがごちゃ混ぜになっている。彼は「経済学が持つ誤った考え方(仮定、あるいは、結論)」として、


  • 経済は経済法則で記述できる。

  • 経済は独立した個人で構成される。

  • 経済は安定している。

  • 経済的リスクは統計学を用いて容易に管理できる。

  • 経済は合理的で効率的だ。

  • 経済は性別とは無関係だ。

  • 経済は公平だ。

  • 経済成長は永遠に続きうる。

  • 経済成長は人を幸福にする。

  • 経済成長は常に善いことだ。


(訳書pp.12-13)といろいろ指摘しているが、何ともはやである。



 また、研究の方向性として、予測の適合度を追究するのは1つのあり方だろうが、研究の主流は、多くの経済学の(理論)研究は可能な限り解析的に解くことを目指してきたと思う。そのために、モデルが(しばしば過度に)簡略化されている(ように見える)だけのこと。



 全部指摘するのも(精神的に)疲れるので、1つだけ例示する。




確率論的な事象と1つのドロー





オレル(2011, p. 29)図3: 原油価格(実線)と、予測値(破線)

本文中では、経済学が予測のために役に立たない例としてGDP(成長率)や原油価格予測が挙げられている。(予測精度をどのように測るのか、本文中では、その定義が明らかではないものの)たしかに、彼の本の図3や図5を見ると、確かに予測が当たっていないように見える



 しかし本当にそうだろうか。とくに、現実の経済には、(予測時点ではわからない)不確実性がある。(例: 東日本大震災が2011年3月11日に発生すると誰が予想できたであろうか。)



 不確実性がある時に、実現値と予測値を比較することは難しい。1つの簡単なモデルを使って例示しよう。




オレル(2011, p. 43)図5: アメリカ合衆国GDP成長予測


  • t+1期におけるある経済変数(GDP等)X(t+1)が、

  • 今期(t期)の値X(t)に加えて、

  • A(t)だけ上下にぶれるとしよう。

  • A(t)の値は、-2,-1,0,1,2のうちのいずれかの値を等確率でとる(一様分布に従う)


すなわち、


X(t+1)=X(t)+A(t)

X(0)=0, A(0)=0 

もしこの経済構造について完全に理解できている(上の式を理解している)ならば、予測は百発百中になりそうである。しかし、そう「見えることはない」。



 Excelのワークシートでは、上のモデルは、セルB3のように、


=RANDBETWEEN(-2,2)+B2

と書ける。その値は、B列に示されている。



 同様に、「完璧にこの経済構造を理解している」のだから、その予測値(C列)は、


=RANDBETWEEN(-2,2)+C2

とするのが「正しい」予測方法になる。(これ以外にないでしょ!?)



 両者ともまったく同じ式(=モデル)なのだから、同じ値を返しそうだが、実際にはそうはならない。



 ワークシートを手元で開いて、何回か[F9]キーを押してみれば良い。最初のグラフは、まあ、結構当たっているように見える。2つめは、前半は調子いいけれども、(構造変化も何もないのに、突然!)後半はまったくダメ。最後に至っては、これが同じモデルから出てきた値だと思う人はいるまい



 言い換えれば、2つ系列の値が等しくなるのを期待することは、2つのサイコロを振って、ゾロ目が出ること(確率1/6)を期待するにも等しい。「ゾロ目でなければ、予測が当たったことにならない」、という判定方法でいいのだろうか?





Economyths? or Economisunderstanding?


経済(学の)モデルやそれを用いた予測に関する、筆者による間違った理解(ないし解釈)の源泉はどこにあるのか。一言で言えば、経済現象自体が確率的なものであり、そのいくつかの可能性(この例では、-2から+2まで)の内のどれか1つだけが実現する(実際に観測される)。他方の予測値自体にも確率的要素があるにもかかわらず、1つのドローだけを取り出して実現値と比べても、その一対比較は当たるも八卦当たらぬも八卦でしかない。むしろ、実現値と、いくつか考えられる複数の予測値(区間推定値平均)とを比較しないことには、フェアな比較にはならない。



 詰まるところ、経済学が如何に正しく世の中を理解していても、その理解の対象は、構造の理解に他ならない。そして、その構造を理解したとしても、具体的な予測値をピンポイントでいい当てられる保証はない。これをして経済学が役に立たないと判断するのは、(それは個人の思想信条の自由ではあっても、)学問に対する正しい理解とは言えない。そもそも、Orrellが使っている現実と予測の間の比較方法(予測精度の計測方法)が間違っているのである。





感想


筆者は複雑系の研究者ということだから、もうすこし経済学がやっていることの中身をつぶさに見て正しく理解できると期待したのだが、どうもそうではない様子。JEBOとか引いてるから、いろいろ知っていると思うのだが。大変残念な本。



 翻訳の用語選択もちょっと不自然。「無理人」ってなに? 無限人のこと? 原著を確認すればいいのだろうが、(うちの図書館にないし、かといって、買ってまで)やる気が失せた。




原著(読んでない/確認する気も失せた)







    参考文献



    (とくに第10章 ウォール街の千鳥足」のランダム・ウォークのあたり。)